2009年5月19日火曜日

知識観の違い

5年ほど前に初めてフィンランドを訪れた時のこと。日本の高校で生物を教えていた元教師と一緒にヘルシンキ近郊の中学校を訪問し、2年生の生物の授業を参観させていただきました。その日の授業のテーマは腎臓の機能でした。20名ほどの生徒たちが、一人だったり、二人で机を向き合わせたり、4人ほどのグループになったりして、それぞれA4用紙に何やら一生懸命書き込んでいます。その用紙を覗き込むと、腎臓全体の模式図、ボーマン曩の模式図がプリントされています。所々に番号が振ってあり、それぞれの番号について、教科書やインターネットなどで調べたことを書き込んでいたのです。
それを見ていた元生物教員は不満そうでした。そして、授業終了後にその授業を担当していた若い男性教師を捕まえ、「なぜ肉屋などからブタの腎臓をもらってきて、食紅で色をつけた水を流して込んで見せないんだ。そうすれば赤い水が透明になって出てくるから、腎臓の濾過機能が一目瞭然で、子どもたちの学ぶ意欲を引き出せる。」と言ったのです。その言葉に対してフィンランドの生物教師は、”Your way is TEACHING, NOT LEARNING.”と言い放ったのです。
つまりこういうことだと思います。この日本の元生物教師は「腎臓は濾過機能をもつ」という「正解」をもっていて、その「正解」を子どもたちに見せたに過ぎないのに対して、フィンランドの生物教師は腎臓がどういう機能をもっているのかを子どもたち自らに考えさせている、ということです。「腎臓が濾過機能をもつ」ということは一つの可能性であり、すべてではないでしょう。フィンランドの教育では知識は固定化されたものではないことを教えているようです。様々な「事実」や「情報」に基づき論理的に考えた結論として「知識」が生まれるということでしょう。科学・技術が進歩すれば「知識」の元になっている「事実」や「情報」が変化します。そうすれば当然「知識」も変わってきます。冥王星が惑星からはずされたように。こうした知識観の違いが、日本とフィンランドの教育の違いの根底にあるように思います。

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