2009年5月19日火曜日

聖書とゲシュタルト

昨日と一昨日、小樽に行ってきました。札幌からわざわざ泊まりで行くほどの距離ではないのですが、古い町並みの残る小樽をゆっくり、じっくり散策したいと思ったのです。
昨日は日曜日。地図を見ると山手に「富岡教会」というものがあるようです。神社仏閣や教会が好きな私はミサを期待してその教会に向かいました。
到着するとちょうどミサが始まったところ。入り口の前で入ろうかどうかと迷っていたところ、信者の方がどうぞどうぞと入れてくれました。
玄関で靴を脱ぎ、二階へ行き、後ろの空いている席につきます。玄関でもらった小さくて薄い冊子を見ながら、周囲に併せてミサに参加しました。
このミサでは聖書から三つの話が引用され、二つ目のコリント書について神父さんの講話がありました。このコリント書にある文言に私はいたく感銘を受けました。
講話では、このコリント書の一節は「神の愛」について語っており、「愛」は「希望」や「信仰」に勝るものであると神父さんが説かれました。
しかし、私が非常に感銘を受けたのは、「知識や信仰は一部にすぎず、完全なる全体が現れた時、それらの一部は消滅する」というくだりです。「完全なる全体」とは「神の愛」を指しているのだと思います。この「全体」と「部分」との関係性はまさに「ゲシュタルト」だと思います。キリスト教そのものにさほど関心はなかったのですが、この「偶然の発見」を機に、聖書を勉強してみようかと思った次第です。

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